南浦和店スタッフブログ

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2018.4.30

亡骸

KODAK Digital Still Camera

こんにちは。

南浦和店の北村です。

先日は好天に恵まれ、沢登りに行ってきました。

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沢登りは山中の渓谷を遡行し、頂上、もしくは源頭部などを目的として歩く登山方法で、通常の登山道と違い、人工物が少なく手も加えられていない部分が多く、在りのままの自然(もしくはそれに近い)で登るので、より「自分の力」を求められる登山スタイルと言えます。それは、文明から極力離れた環境であり、登山を通し、人間本来の生きる力を呼び覚ます行為となり、生の充足を感じるこの登山に、シーズン中は沢に入り浸っています。

生の充足が得られる反面、それは死とも隣り合わせであると言え、普段は身近に感じる事が少ない感情を、沢登り(ひいては登山で)では感じる事があります。

先日、神奈川県の某沢を遡行した際、果てた命の亡骸を見つけました。

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恐らく雄鹿と思われるその亡骸は、沢の流れに留まり、頭骨は自分の存在を主張するかのように孤立し、脚部は静かに朽ち果てるのを待つかの様に、流れで堆積した枯葉の中に、枝と間違うほどに溶け込んだ状態で発見。拾い上げると、ところどころにまだ肉が残っており、他の部位が残っていないところを見ると、野生動物に食べられたのでしょうか。

一つの命が終わり、そして他の命に紡がれていったこの場所。自然の中では、死は当然の様に存在し、そして貨幣の対価を得る事なく無くなった命が糧にされ、この鹿も、連綿と続く流れの中で、自分の死を当然の様に受け入れたのでしょうか。動物に情動がある事は証明されており、野生動物がどの様に死を感じ、そして受け入れていくのか、興味は尽きません。ひとつの命はかけがえなく、何よりも重たく貴重なものであると教わりましたが、それは自然界でも同じと言えるのか、それはこの亡骸を見ていると、命に差はなく、全ては等しく、そして殺生に善悪は存在しないのだと、人間社会の理を自然に持ち込むものではないと痛感し、そして形としても、文化としても変わらず在り続ける山であるからこそ、自分達は魅了されるのだと、なんだか色々な事を考えます。

 

この日、亡骸に手を合わせて骨を回収。遡行を途中で切り上げ、近くの林道に這い上がり、登山道を経由して下山しました。

 

山から降りて街に戻ると、今まで見ている風景が違って見える事があります。それは野生動物が生きる自然社会と、自分たちが生きる文明社会との壁によるものであり、ここを垣間見たその日の景色は、新しい気持ちで物事を見る事ができ、いつもより澄んで見える気がします。

マウンテンシティは、アウトドアで感動、刺激、癒しを求める全ての方々を応援しております。

南浦和店へのご来店を、心よりお待ちしております。

※記事の掲載内容、所属や役職は執筆当時のものです。